会社情報

会社沿革

受け継がれていく、感謝と誇り。

ミズホ株式会社は、2019年6月をもちまして創業100周年を迎えました。
これもひとえに皆さまのご支援・ご愛顧の賜物と深く感謝申し上げます。
1919年6月に東京・本郷の地で医療器械の卸商として出発した弊社は、1938年より作業用義肢の製造を開始。
戦後は手術台をはじめ、脳動脈瘤クリップ、整形外科インプラント、手術用鋼製器具などの医療機器メーカー として、安心・安全な機器とサービスの提供を心掛け、医療を支える企業を目標に皆さまと共に歩んでまいり ました。そして現在、私たちの製品と技術は日本のみならず、世界に活躍の場を広げています。

代表取締役社長 根本 裕司

100周年を迎えた今、私たちは「受け継がれていく、感謝と誇り」をスローガンに、次の100年を築く歩みを
始めています。これからの新しい時代も、医療に携わる企業としての誇りを抱きながら、医療の進歩と人々の
健やかな毎日のために邁進してまいります。

代表取締役社長 根本 裕司

今後とも、これまで以上に皆さま方の温かいご支援・ご愛顧を賜りたくお願い申し上げます。

代表取締役社長 根本 裕司

代表取締役社長 根本 裕司

ミズホの創業者からの系譜
社長・副社長

創業者・初代社長 根本 栄吉

創業者・初代社長

1919-1969年

根本 栄吉

取締役副社長・初代五泉工場長 根本 軍治

取締役副社長・
初代五泉工場長

1944-1965年

根本 軍治

2代目社長 根本 正男

2代目社長

1970-1982年

根本 正男


3代目社長 取締役相談役 根本 達

3代目社長

1983-1998年

取締役相談役
根本 達

4代目社長 取締役会長 根本 喬

4代目社長

1999-2013年

取締役会長
根本 喬


創業1919年〜

創業から、自社製品を生み出すまで

1919 大正8年

根本栄吉、本郷区春木町※にて創業

根本栄吉が奉公先である「いわしや木内伊之助商店」の暖簾分けとして、東京・本郷に「いわしや根本栄吉商店」を創業。手術機具を取扱う卸問屋をはじめる。創業の翌年には、実弟の根本軍治も商いに加わる。
※ 現:文京区本郷

1923 大正12年

震災からの復興と、信頼の獲得

関東大震災後、どの卸問屋よりも早くに商売を再開。被災した職人に好条件で仕事を依頼しながら病院へ医科器械を供給し、震災直後の現場を窮地から救った。それにより人々からの信頼は高まり、発展の基盤を築いた。この同時期に品質保証の象徴として日本の国花である“菊”を採用したブランドマークを作成。

1938 昭和13年

作業用義肢の製造をはじめる

製造部門として東京市王子区(現・北区)に「根本製作所(王子工場)」を設立。国の指令により作業用義肢の製造をはじめる。工場責任者には甥の根本正男が着任。

1939 昭和14年

会社法人として生産・販売業を本格的にスタート

個人商店であった根本栄吉商店を法人化。「株式会社根本栄吉商店」を設立。
同時に根本製作所の製造事業を継承する「瑞穂工業株式会社」も設立。卸業から、生産・販売を行う経営に変更し、現ミズホの礎を築く。

1941 昭和16年

東京・高砂に「有限会社東亜医科器械鍛工所」を設立。医科器械と義肢の精密鍛造に着手。

1943 昭和18年

企業の戦時統合により「(株)根本栄吉商店」「瑞穂工業(株)( 旧:根本製作所)」「(有)東亜医科器械鍛工所」が合併。さらに協力下請工場12 社が併合し、「瑞穂工業株式会社」を設立。

1944 昭和19年

疎開命令により王子工場が新潟・五泉へ移転。工場長には根本軍治が着任。

1945 昭和20年

東京大空襲により瑞穂工業株式会社の拠点である本郷本社が全焼。本社業務を東京工場の高砂に移す。さらに、五泉へ移転した工場も大火で焼失。
その後7月に再建したが、8月15 日に終戦を迎え、軍需工場としての役割を終えることとなる。

1949 昭和24年

自社による医療器械の製造を開始

敗戦により日本の輸入力は衰退。自らで医療器械の製造を模索するが、情報が少なく苦戦を強いられる。そんななか米軍病院から、医療器械の修理依頼を受ける。手術台、吸引器、電気手術器( 電気メス)などの修理作業から、器械のしくみや知識を習得し、自社における医療器械の製造を実現させる。
同時期、大学教授の指導のもと、五泉工場にて整形外科器械の開発・製造に着手。「日本の整形外科器械」を市場に定着させる。

1951年〜

世界に誇る、数々の医療器械が誕生

1951 昭和26年

社名を「瑞穂工業株式会社」から「瑞穂医科工業株式会社」に改称。

1953 昭和28年

五泉工場で整形外科体内埋没材料(インプラント)の製造を開始。
なかでも「天児氏骨折用プレート」は、代表的な骨プレートとして
長期間にわたり全国各地で使用されることとなる。

1959 昭和34年

全油圧駆動手術台「MOT-1000型」を世界に先駆けて開発

世界で初めて、手術台の全ての操作を油圧シリンダーで駆動させる
全油圧駆動手術台「MOT-1000型」を開発。
日本における近代医療の普及に大きく貢献する。

1962 昭和37年

汎用手術台「SPL-300型」が空前のヒット商品に

高い操作性と汎用性を兼ね備えた手術台「SPL-300型」を開発。
これがミズホのヒット商品となり、
1969年には累計販売台数1,000台を超えることになる。

1965 昭和40年

業界初となる代理店制度を構築

日本で医療業界初の代理店制度を発足し、全国各地に販売代理店を設置。
市場に新たな販売網を構築し、メーカー間の競争に積極的に挑む。


本社社屋を木造から鉄筋コンクリート造に建替える。

1968 昭和43年

電動全油圧駆動手術台「MOT-5000型」の誕生

現在の電動手術台の基本仕様となる
電動全油圧駆動手術台「MOT-5000型」を開発。
“手術台のミズホ”として世界に名を知らしめた。


東京工場の電気部門を分離し、「瑞穂医科電機」を設立。
吸引器、電気手術器、血圧計を同社に製造移管する。

1969 昭和44年

創業50周年記念として、箱根に社員旅行へ。
創業者の考えを基本にした社是、「誠実・奉仕・団結」を制定。
整形外科手術台「MOS -1100 型」の販売を開始。

1970 昭和45年

2代目社長に、根本正男が就任。

1973 昭和48年

東京工場を千葉・船橋に移転させた習志野工場を設立。
手術台を中心とした製造業務をスタートさせる。

1976 昭和51年

「杉田クリップ」の誕生。脳動脈瘤手術に革命をもたらす

五泉工場において名古屋大学の杉田虔一郎医師の指導のもと、
新しい脳動脈瘤クリップを開発。
1976年に「杉田クリップ」として完成。

1979 昭和54年

アメリカへ手術台の輸出を開始

アメリカのディーラーから高い評価を受け、貿易事業を強化拡大。
「スカイトロン社(ミシガン州)」と手術台の販売契約を締結し、
アメリカへ手術台の輸出を開始。


創業60周年記念として、
群馬県水上温泉にて全社員が参加する記念式典を開催。

1981 昭和56年

本社貿易部を分離し、「ミズホメディカル」を設立。
世界脳神経外科学会(ドイツ・ミュンヘン)にて「杉田クリップ」を発表し、
その性能は高く評価され、たちまち海外へ流通。

1983 昭和58年

東京・高砂に商品管理センターを開設。

1983年〜

グローバル化をめざし、さらなる世界へ

1983 昭和58年

3代目社長に、根本達が就任。

1984 昭和59年

杉田クリップがアメリカFDA 510(k)の認証を取得(五泉工場)。
全米脳神経外科学会(ワシントン)にて展示。

1989 平成元年

創業70周年記念として、東京・帝国ホテルにて謝恩祝賀会を開催。
香港・マカオに社員旅行へ。

1992 平成4年

新本社ビルを東京・本郷に竣工。

1993 平成5年

「ミズホアメリカ」の設立

脳外科製品の販売会社として、
「ミズホアメリカ」をマサチューセッツ州ボストンに設立。

1999 平成11年

4代目社長に、根本喬が就任。


創業80周年記念として、
アメリカ・ロサンゼルス、オーストラリア・ゴールドコーストに社員旅行へ。
五泉工場を五泉市赤海に新築・移転する。

2001 平成13年

関東販売事業部を分離し、「ミズホアーバン」を設立。

2002 平成14年

「アメリカ・OSI社」をM&A

アメリカ・カリフォルニア州の手術台メーカーを買収。

2007 平成19年

「ミズホタイランド」設立

手術台の製造工場「ミズホタイランド」を
タイ・アユタヤのロジャナ工業団地に設立。


「OSI社」の社名を「ミズホOSI」に改称。

2009 平成21年

創業90周年記念として、
東京・ホテルニューオータニにて記念式典を開催。

2012 平成24年

ミズホグループの企業理念
「顧客中心・イノベーション・プロフェッショナル」を制定。

2013 平成25年

生産から物流倉庫、ショールームまでを備えた総合施設、
千葉工場を設立

習志野工場を千葉・佐倉に新築・移転。
ロジスティクス、ショールーム、サービスセンターを兼ね備えた
千葉工場として生まれ変わる。


本社第2ビルを東京・本郷に竣工。

2014 平成26年

社名を改称し、「ミズホ株式会社」へ

さらなるグローバル化を見据え、社名を「ミズホ株式会社」に変更。
社名変更に併せて新しいロゴマークを設定。グループが一致団結し、
世界市場に躍進していくイメージを表現。


5代目社長に、根本裕司が就任。


杉田クリップの業績が評価され、経済産業省から
「グローバルニッチトップ企業100選」に選定される。

2015 平成27年

「ドイツ・トライルクスメディカル」をM&A

ドイツ・アルンスベルクのライトメーカーを買収。

2018 平成30年

本社第3ビルを東京・本郷に竣工。

2019 令和元年

創業100 周年を迎える

長野県軽井沢プリンスホテルにて、
創業100 周年記念式典・祝賀パーティーを開催。


「ミズホタイランド」をアユタヤ・ハイテク工業団地に移転拡張。

創業100周年記念式典・
祝賀パーティ

2019年(令和元年)8月9日、長野県・軽井沢プリンスホテルにおいて、
ミズホ株式会社創業100 周年記念式典・祝賀パーティを開催しました。
当日はミズホおよび国内外のグループ会社の社員を中心に、OB 社員、
一部の協力工場関係者など、総勢550人が一堂に集まり、
創業100周年をお祝いしました。

創業100周年記念式典
創業100周年記念式典